A tray of contents

書類をとりあえずトレイに乗せておくように、テキストを放り込む場所です。整理できるのはいつの日か…。

拡散コンテンツ自生論がすごい

バイラルメディアとは一体なんだったのか - nomolkのブログ

バイラルメディアをシェアしてる人たちって、記事を「流れてきた」とか「拾った」みたいな感じで扱う傾向がある。

たとえばこの「拾った」っていう言回しについてもうちょっと詳細に書くと、「インターネットという広大な海辺で、きれいな貝殻を発見し拾いました!」というようなニュアンスであると思う。ここで言う「きれいな貝殻」というのは、いい話だったり、面白動画だったりに相当する。

で、このとき、貝殻を拾った自分、つまり最初に自然界からそれを見出した自分っていうのは、感覚としては一次生産者なのではないだろうか。ネットという「環境」から、記事を「収穫」した自分。貝殻を拾ったり、山に入って山菜をとってきたイメージ。

実際にはそのコンテンツを作った人(引用元の人)、それからそれを転載したバイラルメディアの運営者がいるはずなんだけど、彼らはそこに興味がないので、見えていない。むしろそういう記事が自然にたくさん転がってるのがネットだと思っている。彼らにとってネットは自然界である。

 

「コンテンツは土の上に雨が降ったら自然に生えてくるものとします」

このメタファには唸った。コンテンツを気軽に拡散する人の心理は、まさにこういうものだと思う。

元記事には、そういう心理を巧みに利用するバイラルメディアのやり方についても的確な考察がある。

さてこの風潮は今後、どうなるのだろうか。

自分としては、旧来の著作権保護の考え方を厳守し何一つ変えるべきでない、とまでは思っていないが、この現状によって多くのコンテンツ生産者が悲しい思いや悔しい思いをしていて、おそらくはコンテンツの創造に悪影響が及んでいる、というのはよくないと思っている。

そして、状況打破のためには、コンテンツの受け手の、この問題に対する認知と理解が進むことが必要なのだろうと思っている。上記の記事にならってメタファで考えると、食品の安全性に対する意識の変遷が参考になるのではないか。

かつて食品は、より安く、より多く、よりキレイなものが喜ばれ、安さや多さやキレイさの理由に思いを致す人は少なかった。だが様々なトラブルを経て、トレーサビリティが重視されるようになってきた。生産・流通側はそうした意識の高まりへの対応を迫られ、様々な情報開示を行うとともに、きちんと情報開示できる商品を優先して扱うようになっている。そして消費側も、そうした情報開示がしっかりしているところを選ぶようになっているし、人に勧めるようにもなっている。

コンテンツの生産・流通・消費も、こんな形に進化しないだろうか。

食中毒のように分かりやすいトラブルは発生しないが、コンテンツだってカラダに摂り込んで、生きていくためのチカラを養うものなのだから。