SNSとメタ認知
少し前、同傾向の記事で気になったものが二つあったので、雑多な感想を。
ひとつめ。
友達のフェイスブックにイライラするのはなぜ? 脳科学者と心理学者が解説する「嫉妬」と「妬み」の正体*1
これまで、「妬み」と「嫉妬」は同意語と思っていたので、文章を読んで意味をとるのが大変だったのですが、心理学では明確に区別されているというのを調べて知り、整理できました。英単語でははっきりと分かれているんですね。妬み=envy、嫉妬=jealousy。なるほど、だからGUCCIの香水はenvyなのか。
envyとjealousyの切り分けについては、以下の記事が大変参考になりました。ブログ記事についたコメントまで含めてニュアンスの様々な説明があります。ただ、この記事内だけでも相反する説があったりして、うーん難しい。使い分けられる自信はないなw
ただ、この区別をざっくりでも意識できていると、後半記事で出てくる「メタ認知」には有効そうですね。
後半記事:wotopi.jp
しかし後半記事の後半部分はかなり話者がぶっちゃけていて、なかなかに戦慄であります。
ふたつめ。
私、女性誌のキラキラ感を笑う気になれません、という話|Tamaka Ogawa|note(ノート)
うれしかったことを思い出すこと、覚えておくこと、ちゃんと「うれしかった」と言うこと、伝えること。それがどんなに大切で生きていくために必要なことか。私はそれまで全然知らなかった。女性誌ではよくモデルたちが「とっても楽しかった」と言ってパーティーや旅行の様子を綴っている。女性タレントたちのブログでもそう。「楽しかった!」「ありがとう!」「みんな大好きだよ!」
昔は不思議だった。そんな楽しくないでしょ? そんなに感謝してないでしょ? そんなにみんな好きでもないでしょ? 建前だよね。大人だからね。
でも今ならわかる。彼女たちがそうやって言う理由の一つは、幸せのハードルを低くするためなのだと思う。みんなといられるだけで楽しい。集まっただけでうれしい。ケーキがかわいいから幸せ。今足りないものを見つけて気にするのではなく、今の状態こそが満たされていると気付くこと。今日も楽しかったね。明日もいいことあるといいね。「楽しかった、ありがとう」と口に出すことは、祈りに似ている。
この指摘は深いと思いました。
情報発信は逆算して設計するのがセオリーといわれます。マーケティングであれば生活者にどんな行動を起こしてほしいのかから逆算したメッセージを作る。個人であれば、自分をどんな人間と思ってほしいのかから逆算したコンテンツを作る。SNS上での発信情報はそういう意思によって行われているものが多いのだろうなと思っていたのですが、識閾下にはこういう想いがきっとあるのだろうな、と気づかされました。
そう考えれば、「友達のフェイスブックにイライラ」という気持ちも少し落ち着くかもしれません。SNSでの情報発信も受信も、お互いに適切な「メタ認知」として機能するといいですね。